あの日のことをなんとなく書きたくなったから書いてみた

あの日は午後イチに仕事が終われば、そのまま3連休に突入して引きこもってモンハン三昧出来ると楽しみにしていた日だった。

 

地面がぐにゃぐにゃと揺れ、地上にいながら船酔い状態になり、街路樹にしがみつきながら気持ち悪さと戦いつつ帰宅した。様々な物が散乱する家へ入った私が最初にしたのはゲーム用の液晶テレビが割れていないかの確認だった。倒れてはいたものの無事だった事に安堵した。

その時はまだケータイの充電も残っていたので家族への最低限の連絡だけは入れた。しかしほどなく充電切れで誰とも連絡は取れなくなった。

夕方にもなると寒さが厳しくなったので家から布団を出し車に積み込んだ。車のエアコンをつけたり切ったりして眠れぬ夜を過ごした。毎日の日課だったどうぶつの森もDSの充電が切れて遊べなかった。ゲームが出来ない事が残念でならなかった。

状況を知ろうとラジオを付けたが、どこもかしこも淡々と安否情報を告げる声を聞き即座に切った。それだけの事が起こったのだという事実を客観的に知る事になり、恐怖で胸がいっぱいになった。一人で過ごすのはいつもの事なのに途端に心細く淋しく感じた。

 

翌日になると少しは冷静さを取り戻し、家の中の整理を少しばかりする。

近所のスーパーで食料の販売がされているという情報を聞き買い出しに出掛けた。長蛇の列に並び得たものは1袋のスナック菓子だった。緊急事態に身体も省エネになったらしく、不思議とお腹もそれだけで満足し、喉もさほど渇かず、生理現象も無かった。寝床も車から家の中へと戻した。

 

ライフラインが絶たれてから完全に復旧したのは4日目のこと。その時ようやく大きな津波の発生と福島第一原発事故という、東北の深刻な被害状況を知る事になった。あの日まで毎日狂うように遊んでいたモンハンで遊ぶことは無かった。

 

 

あの日から10年が経つ。

私の受けた被害は最小で心身共に無事で元気に今を生きている。あれからまた別の地震で被災したこともあったがそこでも無事だった。

 

私は津波が押し寄せた時の映像をこの10年間観た事がない。被災時はテレビがつかなかったし、その後もあまりニュースは観なかった。ネットでも散々出回っているがそれすら観ていない。恐らく一生観ないと思う。

本当は観るのが怖い。映っている津波に飲み込まれた人が亡くなっているという事実が無念で哀しい。何より津波の映像を観たらきっと罪悪感でいたたまれなくなってしまう。そんな事は考えるだけ無意味だしただの自己陶酔の一種なのに、映像を観る事で陥るかもしれないと思うと失礼にあたる気がする。だから私は一生観ないと思う。

 

10年前のあの日の衝撃は昨日の事のように覚えているし、ダウンジャケットを貸してくれた近所の方の優しさ、自身も大変であろうに人のために働いていたスーパーの店員のことはきっと忘れない。今では家には災害用の備蓄品も揃っている。あの地震から受けたものは何も被害だけでは無かったと今では思う。

 

被害にあわれた方々へお悔やみ申し上げます。そして今も震災と戦っている方々へ心からエールを送ります。

明日また同じ日常が訪れるとは限らないということを肝に銘じ、悔いが残らぬようゲームをしようと思います。

 

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